霊的能力を持ち、臨床に立ち続けた日々

生きるとは何か、人生とは何か。

霊的能力を持ち、臨床に立ち続けた日々

私は21歳で霊的能力が開花してから、まだ理学療法士として新人だった時に
事故で亡くなった患者さんの魂に波長が合った瞬間に
無意識にその患者さんの全ての記録に入ってしまう事になりました。
それをコントロールできるようになるために、いくつかのスピリチュアルスクールに通いました。
そしてその能力を使って臨床に立ち続けました。

超越者との出会い

私は10代から超越者と呼ばれる人との出会いが続きました。
臨床実習でも担当した患者さんが連続して守護霊の声を聞くことができたり、
私の直近の未来を透視して「(運命に)振られたか」と帰国後の留年とその後の状況を予見されたりしました。

その頃、自分の守護霊が光の存在としてメッセージを伝えてきたリ、
その後わたしが力を必要とした時に傍でサポートしてくれたことがあります。

理学療法士として勤務するようになってからも、
担当する患者さんが真言密教の行者だった方や修験道の行者だった方など、
過去霊的訓練を積んだ方から直接手ほどきを受けたりしました。

横須賀に移ってからは、閉鎖病棟の中やラウンドしていた老人ホームなどで超越者に出会いました。
隣接する次元を見ている方や、低アストラル領域の住人を見ている方、
私と同じように透視能力が開花している方や同じく亡くなった方とコミュニケーションできる方など、
その方々が超越者だということをスクールのワークと並行して気付くことになりました。
同時に憑依や霊現象などにも見舞われたのも同時期でした。

高卒で病院で働いた時も、夜勤の病棟巡視に行くとお年寄りの患者さんが夜中も起きていて、
暗闇の中で無言で座っているから「わっ!びっくりした!!」と反応すると、
「あんたの上に人が見える。金髪の男の子」
と私の頭上を指差したのです。
もちろん当時は透視能力が開花していませんでしたから、自分の頭上を見上げて不思議がったものです。

その方が超越者だと分かったのは、スピリチュアルスクールのラストでした。
体外離脱をして次元の層を一つずつ上昇していき、
そこで出会ったマスターが、金髪の少年だったのです。

この超越者との出会いの後は、肉体を置いて出て行ってしまった方やアストラル領域での病気というものに対してのアプローチ、
憑依やオーラやチャクラに異常が現れたケース、エーテル体の修復など、
自分が対処しなければならなくなりました。
ただ、この時は自分の周りに指導霊たちが姿を現して、
このケースにはどういう対処をするのか、サイキックな領域から手順を手ほどきしてくれたおかげで、
私は、他人から飛ばされたエネルギーコードを送り返したり、
トラウマになってしまった手術によるエネルギー体と感情体の修復をしたり、
破れたり避けてしまったオーラやエーテル体の修復をしたり、
過去世の傷に対するヒーリングをすることができます。

意識が肉体を置いて出て行ってしまった人

2013-02-04 22:33:28 テーマ:奮闘記

ここの所、衝撃的な事が頻繁に起こる。
まさか、こんなに立て続けに説明できないことが起きるなんて、
一体わたしの現実はどうなってしまったのだろう。。。

わたしの勤務は基本的にワークシェアといわれるような勤務形態で、毎日配置も所属もちがう。

月曜日は診療所の外来リハ。
火曜日は老人ホームの重度介護居室と閉鎖病棟での集団リハと個別リハ。
水曜日午前が診療所の入院で、午後は老人ホームのデイサービスと一般居室のラウンド。
木曜日は1日老人ホームの重度介護居室と閉鎖病棟で火曜日と同様。
金曜日は1日外来リハ。

閉鎖病棟に行くと、ケアサービス課の係長さんに声をかけられた。

「週末から○○さんが自分で歩けなくなって、 反応も悪い。
食事も全介助でトイレもいけなくなった。
話しかけてもまともに話せない。
ちょっと見てもらっていいですか?」

すると寝たきりの人が使うリクライニング車椅子に横たわっていた。

「○○さん!!分かります?!」

体を揺さぶっても脱力したままだ。
目は虚ろ、体に入る刺激にしか反応しない。
意識レベルを判定すると、痛みにわずかに反応する程度。

まずいな・・・体の中にいない。

視覚を調整してあたりを見回しても、その人の本体がいない。
このまま戻ってこれずにシルバーコードが切れてしまったら、実質上の死が待っている。
体は元気なのに。

そして1週間後。

「はい、では集団リハビリ始めます」

椅子に座った瞬間に、その人の本体と体が重なった。
いや、私が座ったその椅子に、その人の幽体が座っていた。

「うわっ!!」

すぐさま立ち上がり、その人にテレパシーでつなぐ。

「そこで何をしてるんですか?
どうして体を置いて出て行ってしまったの?」

反応はない。ずっと一点を見つめたままだ。

「ちょっと○○さんを車椅子に乗せて連れてきてもらっていいですか?」

フロアにいたケアスタッフに声をかけ、目の前に連れてきてもらう。

「ほら、あなたの体はここにあるよ。早く戻らないと」

集団リハをしながらテレパシーで伝え、促す。
反応はない。

「どうしたらいい?」

「光と光で繋ぐ。コールバック」

すぐに返答がきた。

ビジョンスクリーンに手順が映し出される。

大丈夫か…今回ばかりは難しいかも…

それから2週間後。
集団リハに手を引かれて歩いてきたその人の姿があった。

「痛い!離して!!」
手を振り払う仕草も元に戻っていた。
「いつから戻ったんですか?」
スタッフに聞くと、

「いやここ数日ですよ。すごくよく食べます。食べ終わったら人のを取って食べるから大変で(笑)」
「そうか・・・(笑)」

「○○さん、今までどこ行ってたの?(笑)」
「うるさい!」

笑い話ですまなかったかもしれなかったんだからね。
良かった、、、ホッ。

人生は一期一会

2014-06-05 22:57:05テーマ:自己開示

わたしは、理学療法士として勤務した最初の職場で苦い体験がある。
若い世代が病気で手足を切断する時、
その直後はとても自殺率が高いため、入院中はセンサーで行動を管理されたりするのだけど、
その方が退院して外来に切り替わった数ヶ月後に、
飛び降り自殺を図った。

即死だった。

だからわたしは、自殺すると決めた人の顔を見た瞬間にそれが分かるし、
その時だけは、そのような人に出くわした時にだけは、
相手の許可なく自分にエネルギーを流して、介入することがある。

それが正しいかどうかは分からない。
だけど、私はその時に黙って立ち去るということが残念ながらできない。
それがこの先、結論を出すときが来るのだろうけど、
わたしは自分は、この先もこういうスタンスでいると思う。

生き抜くということ

2015-10-04 10:10:12テーマ:生死を超えた魂の物語


この仕事をしていると、多かれ少なかれ、印象的な生き方を貫かれた人たちに出会う。

脊柱管狭窄症。
あるとき、介護スタッフが「足先の血行不良」を発見、入院扱いとなった方がいた。
病棟へ上がると、看護師の処置に立ち合うこととなり、
患部を確認すると、壊死した足の状態が飛び込んできた。

ドクターより指示内容変更。やはりASO(閉塞性動脈硬化症)だった。
ある時から全てのケアの拒否が始まる。

「おはようございます。リハビリです。」

すると形相を変えて食ってかかられる。

「あんた、私の足の係の人か!!私の足をこんなにして!!
 あんたをひどい目に遭わせてやるからな!!」

「リハビリの指示は出たままなので、毎日来ます。
 ただ、やりたくないならその時にやらないと伝えてくれれば良いです。
 私は逃げも隠れもしませんから」

処置もむなしく、壊死はどんどん進み、生きながらに腐敗が進むという状態となった。
左足はおろか、体の半分のオーラが真っ黒だった。

病室の前を行き来するたび、そっと中をうかがう。
“体を離れたりする時間が増えている。もうそんなに長くはないかもしれない。”

朝の申し送りでドクターより、 足の切断と終末期への切り替えの指示。

気が重いな~、今日どんな顔して病室行こうか・・・・。
病室に入ると、昨日までとはまったく違うその人がいた。

「ありがとう。おかげさんで良くなったわ」

耳を疑った。

「えっ?もう痛みないんですか?」

そんなはずはない。壊死は進行して、切断しなければ命すら危ないのだ。

「うん、あんたたちのおかげやわ。楽になったで、おおきに」

体の周りのオーラが金色だった。それが穏やかな理由を物語っていた。
魂の世界に帰られるのだ。

「それは良かったですね。今なにか食べたいものとかありますが?」
「そうやね、お饅頭が食べたいわ」
「わかりました。看護師に伝えておきます。」

翌日の申し送りで、その方は夕方亡くなった。
「あのあと、売店で和菓子を購入。昼食で召し上がっていただいた」
看護師からの申し送りは、そう伝えられた。

 ある方は、リウマチで食欲が落ちたところで入院となった。
リハビリも15分ほどで、「しんどい」と帰りの送迎をする日が続いた。
お部屋に迎えに行くと、枕元に聖書がおいてある。

「聖書、読まれるんですね、私も学生の頃に習ってね。どの教えが好きですか?
 私はあなたの隣人を愛しなさい、って教えが好きです。」

「南の玄関に、イエスキリストが弟子の足を洗う絵がかけてあるでしょ。
 あれ、究極の愛の形ですよね。
 自分が裏切られると知りながら、弟子の足を洗ったんですから。
 当時それは奴隷の仕事だったんですよね。」

その方は急変してから一週間ほどでご逝去された。

その方の訃報を受けてから数日、なんとお別れの挨拶に出てこられた。
休日、社員寮でスクールの課題をしていると、
エネルギーフィールドに接触する感覚があり、ふと目をやると、その方が立っていた。

「先生、お世話になりました。」
生前の車椅子姿ではない。40代頃か、背筋も伸びていた。

「今、ご自分の状況は理解されていますか?」

「はい。数日はお礼を言って回って、そのあとは迎えに来てくれた存在と、あちらの世界へ行きます。」

「それなら安心ですね。最期までよく頑張られましたね。」

そのあと、ふっと気配が消えた。

人の生死の傍らで仕事すると、
人という存在の素晴らしさを知ると同時に、人間ならではの儚さも知ることになる。
私は臨床で本当に沢山の学びをさせてもらった。

彼らはある境地に至ったときに、無言の平和を体現する瞬間がある。

エンドオブライフケア。
医療が功をなさない段階に来ると、こういった対話が必要になってくる。
この段階にあっては医学的知識とか手技とかは必要なくて、
どこまでこの人たちに向き合えるか、人間としての底力が問われてくる。

緊急事態の霊的介入~人生は一期一会

たまたま切断手術で退院になった方のリハビリに訪問したことがある。
その方の両側にはガイドが控えていて、わたしを待ち構えていた。

顔を見た瞬間に「やばい」と感じたので、
そうそうにリハビリをしながら自分のオーラにエネルギーを流した。

エネルギーを流し始めると、
それをサポートするかのように頭上にいろいろな存在が集まってきた。
相手のオーラの中に入ることで、オーラを介してエネルギーを流せるので
1時間、特に話もせずにひたすらエネルギーを流した覚えがある。

その場にはテレビの音しか流れていなかったのだけど、
リハビリを終えた後の顔が緩み、
「なんかちょっと元気になりました」と言われ、ホッとした。
「今は大丈夫そうですね」と、その場を後にした。

自殺した者に憑依され、肉体を乗っ取られた女性

2018-11-14 07:35:00 テーマ:奮闘記

これもまだカミングアウトする前だったので非公開にしていた記事なんだけど、
私は相手の許可なく透視やヒーリングをする場合がある。
それは緊急事態だと判断した時。

私には、自殺を決めている人と憑依されている人は顔を見るだけで一瞬で分かる。

強い怨みや憎しみを持って亡くなった場合、
天界への橋渡しをする存在でさえも寄せ付けない呪縛となり、
その場にとどまり続けるという選択をした存在たちがいる。

そのような地縛霊は霊的能力者を通り道にして成仏しようとするケースが割と多く、
わたしは過去に勤務していた中で、
一気に6体もエーテル体に入られたことがあるので、地縛霊に関しては介入しない。

そのようなものたちが活動しやすい時間帯ってのもある。
同じ場所でも時間帯によって一気に周囲の気配が変わるし、
そのような場所にある閉鎖病棟なんかでは、患者さんの異常行動の感受性が、
特定の時間に高まりやすかったりする。

複合ダイアードは、人ならざるもの。
絵に描くとかなりホラーになるほど、そのいでたちはこの世のものではない。
圧倒的な力があるので、並大抵の霊力では太刀打ちできない。
そのような場所からは足早に立ち去るに限る。

それでも自分で対処の術を身に着けてからは、憑依のある方を避けたりはしなかった。

「ねぇねぇ、わたしね、ビルの16階から飛び降りたの。そして死んじゃったのよ」

姿を見るとわたしを呼んで、そう繰り返す女性がいた。
普通の人なら聞き流すでしょうが、わたしには、その方ではない存在が話していたのが分かったので、

「じゃあ何で今も生きているんですか?」
と声をかけられるたびに問い直した。

「わかんない」

このように死んだら終わりだと思っていたら肉体を抜けた後も自分がいて、
昏睡の間にその人の意識を支配することがある。
さらに悪いことは、「死ねなかった」と言って今度は死に切ろうとして、
その人を巻き込んで自殺する場合がある。

ある時、病棟看護師が私に声をかけてきた。
「あの患者さん、今ケア病棟にいるの?気を付けてね。入院中のカルテ見た?あの人、飛び降り自殺図ってるから」
すぐにカルテを確認する。
「2階から飛び降り中庭で倒れているのを発見され救急搬送される」

冗談じゃない。あろうことか亡霊が生きている人間を巻き込むなんて。

「こちらに、○○さんの入院時の情報って来てます?あの人、自殺未遂してるから。しかも飛び降り。」

ケアスタッフに24時間のセンサーで管理してもらうように依頼をした。

「センサーすり抜けも考えて、離床センサーと赤外線センサーダブルでね。
あの人、また飛び降りるかもしれない。」

あとから聞いた話、
ケアスタッフの方から、わたしがラウンドで介入するようになってから、
自分でトイレも行けなかったのに、身辺のことが自分でできるようになったと聞いた。

当時、その職場に入るときにスピリチュアルスクールに行っているために、
スクール開催日の勤務は外してもらっていたため、
職場の施設長やクリニックの上司たちは、わたしが特殊能力を持っていることを知っていた。

だから各部署の係長とかから説明がつかないような事態が起きた時には相談を受けていたし、
わたしが何かしていることも知られていて、その事に関しては勤務中であっても、
わたしがしていることを止められはしなかった。

遺書を残して行方不明になった方が出た時にも、フロントの係長さんが写真を持ってわたしのところにきて、
「さっきー(わたしのこと)何か分かる?」
と居場所を聞いて捜索に行ったりした。

「もう肉体にはいないよ、周りは水面。海かも」

翌日、捜索に出た看護部長から入水自殺であったことを伝えられた。

精神科領域の介入や、頭部の外傷の後の介入には、注意が必要なことがある。
向精神薬や脳の電気信号を低下させるような内服の種類によってはオーラを凍結させるものがある。
そのような時には、外部からの侵入を許しやすい。

わたしは、独立する日が来るまでに、臨床でこのような経験値を増やしてきた。
それがいつか自分の役に立つ日が来ることを知っていたから。
だから自分が納得できるまで、退くことを先延ばしにしてきた。
その日が来たら、わたしにはやろうと決めていたことがあった。

踏んだり蹴ったりの時期もあったけど、
泣きながら痛い目を見た時期も長かったけど、
それがあったからこそ、わたしは今のレベルまで能力を伸ばすことができた。

最初から何もかもできていた訳じゃない。

決意新たに。

2020-01-26 15:11:57 テーマ:奮闘記

在宅医療に関わるようになって、印象的だった方がいる。
その方は同世代で末期だったのだけど、ちょっとした事情があって「センパイ」と呼んでいた。
その方が最期まで望んだのが仕事復帰だった。

都内や横浜の一流料亭で修行をされた方で、
告知はされてなかったのだけど、ご両親には余命宣告されていた。
だから早い時期にそれを実現する必要があった。
残されていた時間は3ヵ月。

それでも状態悪化や急変のことを考えると、悠長にしてる時間はなかった。

ふとした時に、私がしているリハビリが他の人と違うという指摘を受けた。
(大抵クレーム…)
私がするのは、アメリカ仕込みのNeuro-Development Treatmentとモーターラーニングの両方から、
脳・脊髄・末梢神経系・筋と外界との認識を一つのユニットとして働かせて体の連結をつなぎ、
動作獲得につなげるアプローチからいきなり入る。

これが適応でないのは、脳死・植物状態の時だけ。

だから私はICUの中でも、その方の意識が戻った時に動ける体にしておくため、
意識がない状態でもニューロの入力を開始する。

これを私に叩き込んでくれたのが、Dr.PTのナンシー。
そして理論を叩き込んでくれたのが助教授のブルース先生。

ナンシーには、日本のリハビリとの違いを何度も指摘されたし、体に触れる際のアタッチメントの仕方も何度も直され絞られた。

だから「ただ歩ければいい」「ただ何かができればいい」という反復による習得ではなく、
たとえば、子供が自転車に乗れるようになったら、ずっと乗れるように、
一度習得したものが、何かの拍子に元に戻らないという半永久の習得ができることが前提のアプローチなのだ。

家を建てるときの基礎工事、柱を立てる工事、梁を渡す工事、屋根工事というように、
今どこの課程のリハビリをしているのかということも説明する。

そのかいもあってか、1か月過ぎるころには板場へ降りて
立ち上がった状態での物品操作というところに入ることができた。

「その技、習得するの大変だったでしょう?」

ふいにそんな言葉をかけられた。

「いや、でも一度習得すると一生ものじゃないですか」

「そうだね、それは俺たちも一緒だ」

センパイとは同じ職人だから話せることがたくさんあった。
お互いにリスペクトしていたから、どうしてもセンパイが元気なうちに板場に立ってもらいたかった。

入院した日、病院で仲が良かった先生が告知をした。
病院に経過を聞きに行った時、師長さんが私を呼び止めた。

「今、先生が告知されたので。安定していれば今週退院になります。帰ったら支えてあげてください」

管理者と相談し、「もしかしたら1時間超えるかもしれない」ことに承諾を得て、
肝心な時のためのリハビリ枠を確保し、できる限りの事をした。

センパイが緩和ケア入院になる最後の訪問の日、

「今日はちょっと頼みたい事があるんだ」

と板場に降りてセンパイの仕事を手伝うことになった。
そして寝室に戻り、センパイに最後のリハビリをする。

充分に生き切った方であれば、死後の話は救いになることがある。
ただ、私はセンパイにはそういう話ができなかった。

「この促通をしている限り、 この入力が体に入り続ける限り、 
それは、元気になった時にまた板場に立てるという証拠。 
だから元気になって帰ってきたら、 また一緒に頑張りましょう」

なんとかそれだけ伝えた。

その日の報告をメディカルケアネットICTで主治医に報告する。

「よくやってくれて、ありがとうね」と労いの言葉がメールに届いていた。

それからしばらくして、センパイの訃報が入った。

訪問から帰ってきたら季節のデザートとして先輩が得意な梅のゼリーに使う梅が届いていた。

死後の世界や魂の事を学んでいても、答えが出ないことがある。

病院の事務室に用事があって行くと、センパイのお母さんがわざわざお礼にみえたと事務長と参事に呼ばれた。

「あんたがリハビリしたこと、喜んでたよ。最期のリハビリ、よくやったと思う」

だけど、それは周りが決める事じゃない。

それを決めるのは、センパイだ。

命の現場に立ち続けたサイキックとして

私はこのような出来事を重ねて、様々な霊能力を磨いてきました。
当初は、なぜ自分がこんな目に、と
一番最初はノイローゼになり診療内科へかかりました。
二重の現実の中で、精神は消耗していたからです。

私の事を理解してくれている友人たちは、
私がこの能力を使って人に危害を与えたり、他人の詮索をしたりしないことを信頼してくれていますが、
オーラを透視できることだけを知っている方たちは、
「今、見られてる??」
という反応をしたりします(笑)。

今となってはヒーリングだけをメインにすることはほとんどありませんが、
私は主にヒーリングが必要な方のヒーリングをするときや、セッションののちに
過去世の傷に対するヒーリングをする時に転生を持ち越してきたプログラムを解除するときなどに主に使っています。

ただ、日常でも、それらの傷をもった方に気が付くことがあります。
過去に、電車の中で乗り合わせたケースで、
エーテル体が傷だらけでオーラにも傷からの出血跡のような痕跡が見られた方などは、
「その方に何が起きているのか。そして介入の必要があるかどうか」
を見極めるときだけは、私はその方の傷にフォーカスして透視することがあります。
ただ、その方はリストカットを繰り返しており、
自分を傷つけることに快感を見出しているタイプで傷を修復してもまたやるというケースだったため、
何もせずに電車を降りました。

エネルギーを扱うヒーリング領域では、「エネルギーが先」の法則があります。
どういうことかというと、私たちの肉体に影響が現れるより先にオーラにはすでに異変が見られるということです。

避けられない出来事が病気の場合、
もしくは放置したら大病につながるような場合には、
半年くらい前からオーラに異変がでます。

そのような事前に病変の予兆として現れるケースや、医学的処置が必要なレベルの異変が肉体にある場合は、
大きな会場の中にいても私は気が付きます。

そして逆のパターンもあって、覚醒のイベントとして設定している場合もあります。この場合はそれを克服するプロセスが治癒に結びついている事があります。ただ、このようなケースはほんの一部です。

どちらのケースにしても、
知り合いの場合には自分の能力を開示し、サポートが必要になったら連絡もらえれば対処することを伝えておきます。

なので、私からそのような申し出があった場合には、
そういう背景があることを知っておいてもらえたら有難いなと思います。

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